【健康の選択#1】はじめに

最近、耳にすることも多くなった行動経済学ですが、さまざまな分野で革新を起こしています。
このシリーズでは、ハーバード大学とケンブリッジ大学で行動経済学を学んだ医師である著者が、行動経済学の観点から、個人が医療と健康に関する意思決定をする際に陥りがちなバイアスについて解説し、その対処法を示す書籍です。

本書では、豊富な事例や研究を通じて、選択に影響を与えるさまざまなバイアスを説明し、具体的な例を挙げながらその影響と対策を紹介しています。たとえば、現状にとらわれすぎたり、短期的な利益に走ったりする傾向がどのように健康への意思決定に影響を与えるかを詳しく分析しています。

医療従事者にとっても、患者の行動に関する新しい視点や実践的なヒントを得るのに役立つ内容となっており、患者とのコミュニケーションや医療提案に応用できるアドバイスが含まれています。健康や医療の意思決定に関心のある読者にとって、価値あるシリーズです。

目次

私の行動経済学との出会い

私が初めて行動経済学と出会ったのは、2011年からハーバード大学公衆衛生大学院に留学していた時でした。

私は、社会疫学・行動経済学分野で著名なイチロー・カワチ先生の講座の修士課程(Society, Human Development, and Health)に入学しました。
https://www.hsph.harvard.edu/profile/ichiro-kawachi/

カワチ先生の授業は必修科目にもなっていますが、何より先生の講義が大変おもしろく、とても人気でした。

ハーバード大学公衆衛生大学院の大講義室
カワチ先生の講義の様子

私の修士課程は、社会疫学専門のコースだったので、このほかにも社会疫学・社会科学系の講義を多く受けました。その中でも、最も衝撃的であったのは、カワチ先生の行動経済学と健康に関する講義です。

行動経済学と公衆衛生

その頃、私は厚生労働省の医系技官であり、人事院の長期在外研究員制度による派遣で留学していたので、留学で学んだことを厚生労働行政に活かす視点で学んでいました。

当時、むしろ今でも、行政の中では、正しいことを正確に伝えることが重要であるとの暗黙の了解があります。実際、行政の広報は、多くの場合、正しいことはいってるんだけど、観たり読んだりしても面白いとは感じられないですよね。
(たまに面白おかしいコンテンツで広報することがありますが、揚げ足を取られたりとかで炎上してしまう例もあります。このような尖った挑戦ができなくなり、事なかれ主義的に、面白みのないコンテンツが量産され、結果的に必要な人に必要な情報が届いていないのではと思います)

しかし、カワチ先生の授業で学んだこととの一つとして、行動経済学が示すように、人間は全く合理的(常に情報を正しく評価できて、最も利益の大きい選択をすること)ではなく、往々にして感情に流され、結果的に自分自身にとって、(この文脈では健康にとって)よい判断ができないということです。当時、私は、さまざまなエビデンスに触れて、これまでの公衆衛生政策では、本当に必要な人に情報が届かず、望ましい行動変容に繋がらないのではないかと感じ、是非ともこの行動経済学の知見を、厚生労働行政にも活かしたい!と思うようになりました。

その後、いくつか行動経済学の知見を行政に活かす機会もあり(機会があれば今後ご紹介します)、カワチ先生と論文を書いたりお仕事をする機会もありました。

健康に関する意思決定

上記の私の例は、公衆衛生と政策という、集団における行動経済学のお話でした。それでは、個人に関する健康に関する意思決定や行動はどうでしょうか。現代の医療は目覚ましい進歩を遂げ、かつて致命的とされた疾患や病状も治療可能となりました。技術革新により医療が飛躍的に進化する一方で、私たちが自分の健康を管理するために利用できる情報の量は膨大になり、選択肢も増えました。健康管理のために食事や運動の指導を受けたり、定期的に検査を行うことで予防に努めたりするだけでなく、具体的な症状が現れたときには専門的な治療を迅速に受けられる環境も整っています。

しかし、その選択肢の多さゆえに、個人が医療に関して適切な判断を下すのは難しくなっています。情報過多や多様な治療法の存在、インターネットを介した誤った情報の流布など、私たちの判断にはさまざまな要因が影響します。加えて、医療意思決定においては、心理的なバイアスや誤解が意思決定プロセスに影響を与え、最善の選択から遠ざかってしまう可能性があります。

例えば、医療保険の選択や治療の開始時期、服薬や検査の頻度など、重要な選択肢に対して感情的な反応や習慣的な行動、環境の影響により、合理的な判断が下せないことがしばしばあります。これが健康に対する意思決定の最大の課題の一つであり、医療の質に直接的に影響を及ぼす要因ともなっています。

行動経済学で理解する医療意思決定

このような課題に対して、行動経済学は新たな視点を提供します。行動経済学は、従来の経済学的なモデルと心理学的な洞察を組み合わせ、人々の実際の意思決定プロセスを探求する学問です。これにより、非合理的な判断やバイアスが私たちの医療選択にどのような影響を与えるのかを分析し、より良い意思決定をサポートするための手法や介入策を見出すことができるでしょう。

本書では、行動経済学の基本的な概念や理論に基づいて、具体的な医療意思決定の場面で遭遇する可能性のある心理的なバイアスや習慣的な傾向を解説します。さらに、これらのバイアスに対処し、適切な医療意思決定を行うための実践的なガイドラインも提示します。読者は本書を通じて、自分の健康に関する選択をより慎重に考え、行動経済学的な視点から賢明な意思決定をするための新たなツールを手に入れることができるでしょう。

コンテンツ(予定)

  1. ひとは得たものを失いたくない!「プロスペクト理論」
  2. 本能的なわたしと、理性的なわたし「二重過程理論」
  3. 確かなものが好き「リスクと時間」
  4. ひとは他人を思いやる「社会的選考」
  5. 価値も価格は同じではない「心理的会計」
  6. ひとを望ましい行動へそっと促す「ナッジ」
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この記事を書いた人

AI physician-scientist・連続起業家・元厚生労働省医系技官・医師・医学博士・ハーバード大学理学修士・ケンブリッジ大学MBA・コロンビア大学行政修士。
岡山大学医学部卒業後、内科・地域医療に従事。厚生労働省入省、医療情報技術推進室長、医療国際展開推進室長、救急・周産期医療等対策室長、災害医療対策室長等を歴任。文部科学省出向中はライフサイエンス、内閣府では食の安全、内閣官房では医療分野のサイバーセキュリティを担当。国際的には、JICA日タイ国際保健共同プロジェクトのチーフ、WHOインターンも経験。
退官後は、日本大手IT企業にて保健医療分野の新規事業開発や投資戦略に携わり、英国VCでも実務経験を積む。また、複数社起業し、医療DX・医療AI、デジタル医療機器開発等に取り組むほか、東京都港区に内科の仁クリニックを開業し、社外取締役としても活動。
現在、大阪大学大学院医学系研究科招へい教授、岡山大学特定教授、ケンブリッジ大学ジャッジ・ビジネススクールAssociate、広島大学医学部客員教授として、学術・教育・研究に従事。あわせて、医療者のための医療AI教室「Medical AI Nexus」を主宰。
社会医学系指導医・専門医・The Royal Society of Medicine Fellow

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